銘仙は絹100%の織物です。
絹糸はまゆからつくられますが、一枚の着物に必要なまゆは、通常大小約2,500~4,000個です。
銘仙はその材料として、多くは廃棄処分となる「玉まゆ」や「屑まゆ」から採れる太い絹糸で織るために、丈夫でありながら安価であるという特色があり、関東の生産地としては、八王子、秩父、桐生、村山、館山、佐野などがあります。
大正から昭和初期にかけての、時代が大きなうねりを持っていたときに、その時代の、特に若い女性たちに愛された文様を備えているのが特徴です。
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電車内や人混みなど
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銘仙は強い色彩が特徴ですが、昭和初期の社会的不況の中でもカフェーやバーなどで女性たちが着用した銘仙が量産されたように、銘仙がこの時代を引っ張っていたことに一役買っていたことは確かなようです。
昭和7年(1932年)頃からは銘仙に金銀糸の折り込みが入ったり、銀座を歩くモガたちの派手な縞銘仙に、ショール、パラソルという装いが、時代の先端を行き、この時が銘仙の最盛期となっていました。
銘仙の文様については、当時、西洋で流行していたアール・ヌーヴォーやアール・デコに影響を受け表現されていると言われています。
ここで、アール・ヌーヴォーとアール・デコについて少し・・・
・まずアール・ヌーヴォーですが、19世紀末~20世紀初頭にかけてヨーロッパで人気を博した装飾文様で、日本の浮世絵や精巧な工芸品などから影響を受けたと言われている、曲線的なデザインのことを指します。そのため、多くを作るのは難しい面があります。
またアール・デコは、アール・ヌーヴォーの大量生産には向かない不合理な面を拭うために、1920~1930年に流行した、合理性のある、簡素でパターン化された装飾様式のことを表しています。
・この頃、人々が西洋文化への興味や関心を持ち、一人ひとりに新しいもの取り入れようという意思が、強く、銘仙を、そして時代を後押しする力になっていったのでしょう。
銘仙という言葉に馴染みがない人でも、絵画なら柄が創造しやすいかもしれません。
実際に大正時代に生きた画家・竹久夢二氏が描かれた作品を見ると、銘仙を彷彿とさせる和服を着た女性たちが登場しています。『黒船屋』などは、本や街中でもよく見かける一枚かと思います。
素材・歴史から文化にまで影響を及ぼしていた、銘仙。
その柄を見て・着てるだけでいつでも、大正浪漫から昭和モダン時代への旅へ。行けるはずです☆
この記事を書いた人
榎本香代子 つるやクリーニング(清香株式会社)
さいたま市で80年以上続く、つるやクリーニングの四代目跡取り。通常の一般衣類クリーニングと並行して、衣類のリサイクルにも取り組んでいます(衣類買取・リユース・リサイクル・リメイク)。地域の中にある、衣類の洗いから循環までのニーズを受け止め活かす方法を、模索しています。
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